「何が私をかうさせたかは、何が彼女を死なせたか?であらう」

林芙美子にそう評されたもう一人のフミコ、金子文子の生涯がようやく日本で映画になった。

朴烈のサイドキックとしてではない、彼女自身の生を生きた文子の最後の日々。それは、21世紀の現代でも日本社会や政治への痛烈な批評になっている。

そして、それ以上に、すべての個人に「生きる」ことの意味を問うものでもある。これは、百年前にあったわたしたちの「いま」だ。

ブレイディみかこ(作家)


「画面の美しさにまず息をのんだ。その美しい世界の中に金子文子は息づいていた。

すさまじい情熱の浜野監督により、この映画が生まれたことを心から嬉しく思う」

吉行和子(俳優)


「文子が闘った植民地主義とも家父長制ともいまだ決別できない日本社会に投げ込んだ、これは爆弾なのだ」 

伊藤春奈(文筆家/花束書房代表)


「100年のときを経て、疾風怒濤のアナキストがいまこの世界によみがえる。やったぜ!」 

栗原康(アナキズム研究)


「獄中の3年間に焦点を当てた語りは、文子を朴烈の亡霊から解放し、文子自身を生きる文子の生き様を直球で描く」 

斉藤綾子(映画研究者/明治学院大学教員)


「金子文子の手記『何が私をこうさせたか』(1931年)を読むと、あなたはどう生きているのかと問われているような気持ちになる。金子文子に出会ってしまうと、自分の中の人間性が引きずり出されるのだ。あなたにも金子文子に出会ってほしい」

大田美和(歌人・中央大学教授)


「菜 葉 菜の凄みある清冽な演技に泣いた」 

近藤ようこ(漫画家)


「現代において思考停止し毎日を飼われるように暮らす人々へ、目覚めろ、と命がけで問いかけてくる」 

木村紅美(小説家)


「三・一独立運動で目の当たりにした、朝鮮の民衆による権力への抵抗が大きな力となり、彼女は虐げられる人生を運命と諦めるのではなく、悲惨な幼少期までをも、むしろ自らの人生を見つめる糧に変えた」

崔盛旭(映画研究者)


「100年前に文子が放った石礫(つぶて)のような言葉は、菜 葉 菜の身体を通して、混迷を極める現在の日本社会を鋭く切り裂き、見るものを目覚めさせる」 

               橋本恭子(台湾文学研究者)


「金子文子の死の真実を掘り当てたようなスリリングなエンディングだった」 

海渡雄一(弁護士)


「この物語は単なる遠い過去の悲劇ではない。イデオロギーの暴力が跋扈する現代社会に違和感なく平然と暮らしている私たちに向けた、痛烈な批評にほかならない」  

北村匡平(映画研究者/批評家)


「神権の日本帝国の権威を全身で否定する。抗う女性、金子文子が映画で生きかえる」  

亀田博(金子文子研究 / アナキズム図書室運営)


  ★パンフレットに全文掲載★